日本における琉球関係史跡の紹介

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   日本各地(奄美諸島以外)における琉球関係の史跡の場所・概要・参考文献などを紹介します。

   調査・研究を進めながら、随時、書き足しています。

九州

●鹿児島[北部2] 阿久根・出水・長島・甑島など

阿久根

阿久根港

阿久根市波留(阿久根駅から徒歩15

(準備中)

高松川の河口部に発達した湊。沖合の大島・桑島・小島・元之島が天然の防波堤となり、大型船の係留に適していた。現在は河口の北に新港(1978年竣工)、南に旧港、旧港のさらに南に倉津港がある。かつてはこの倉津が当湊の中心であったともいわれ(『三国名勝図会』)、遠見番所も置かれていた(『阿久根市誌』)。

 

*この湊の船主・河南源兵衛一族は近世に藩の御用商人となり、道之島(薩南諸島)や琉球、また上方・江戸への藩米・黒糖などの輸送を請負った。このため湊は飛躍的に発展した。河南一族の祖初代源兵衛は中国河南省出身の藍会栄で、明朝の高官を勤めていたと言われ、王朝末期の混乱を避けて琉球に亡命、鹿児島藩に唐通詞として迎えられた人物である。実質的に唐物取引を差配して船主に成長した。(以上『阿久根市誌』・河南文書など)。

大島の金比羅神社

阿久根市波留の大島の中央

(準備中)

天明四年(1784、一説には同七年)に、藩主の島津重豪が阿久根湊の御用商人河南源兵衛が所有する琉球貿易船の航海安全を祈願して創建した神社という。

甑島

西昌寺跡

上甑島里町の寺山墓地(浄土真宗西願寺のそば)

(準備中)

琉球から鹿児島へ向かう途中、甑島で遭難死した琉球人僧二名の墓がある。

◆墓1:墓碑「天保十一年丑五月廿七日/一圓會知藏塔/琉陽東禪寺清仁徒」

◆墓2:墓碑「天保十一年丑五月廿七日/高岳祖源知藏塔/琉陽□喜(or善)寺大淳徒」

※天保11年=1840年、天保丑年=天保12年=1841

 

〔参考文献〕深澤秋人「琉球・薩摩交流史の痕跡」『琉球と日本本土の遷移地域としてのトカラ列島の歴史的位置づけをめぐる総合的研究』(科研報告書、課題番号13410100、代表・高良倉吉)、琉球大学法文学部、2004里村郷土誌編纂委員会編『里村郷土誌』上、里村役場総務課、1985

 

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