[廈門・同安]
●廈門・同安とその周辺 |
鼓浪嶼(コロンス)島・胡里山砲台・南普陀寺・廈門大学・同安文廟・同安古窯(汀渓窯)など |
・自由に見学ができる史跡には「可」のマークがついています。「可」マークがないところも手続きを踏めば基本的に見学できます。
・見つけにくい史跡や個人旅行では行きづらいと思われる史跡には「▲」のマークがついています(※これも作者の独断によります)。
廈門
●その他の郊外の海外交流史跡
鼓浪嶼(コロンス)島 可 |
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17世紀に厦門を占領した鄭氏政権の水師練兵場であったといわれる。アヘン戦争後の1842年から英国が占領。一度清朝に返還されたが1853年の小刀会事件以降、再び英国の占領下に入る。1877年ごろから実質的に共同租界化し、1902年、正式に「共同地界」となる。日中戦争に伴い、1937年から日本の占領下に入った。島内には八卦楼[=振成楼](鼓浪嶼43号)・鄭成功記念館などがある。 八卦楼は1907年に台湾の板橋林家の林鶴寿が造営した西洋風の建築物。以前は廈門博物館が入っていたが、2007年3月に博物館は大陸側にオープンした廈門文化芸術中心(体育路95)に移転・吸収された。この施設は博物館の他に、図書館・文化館・美術館・科技館を含む総合文化施設である。一方、八卦楼の方は、現在、風琴(オルガン)博物館となっている。なお右の写真は廈門博物館の庭に並べてあった海関の没収品(墓石や境界碑など)であるが、博物館の移転に伴いこれらの品々も撤収されたため、現在ここには無い。 [掲載写真撮影日2003/02/22/最終調査日2008/12/26] |
胡里山砲台 可 |
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(準備中) |
清仏戦争後、厦門港を固める要塞として設置された砲台。ドイツ・クルップ社製の巨大な帯方が現存しているほか、城門、城壁、壕、兵士の宿舎、秘密通路、弾薬庫などの施設が保存されている。1896年の完成。 〔参考URL〕胡里山砲台 [最終調査日2006/11/06] |
南普陀寺 可 |
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廈門大学のすぐ隣(思明南路)にある唐末創建の古刹。広大な敷地に王殿・大雄宝殿・大悲殿・蔵経閣などの堂塔伽藍が並ぶ(※建築物は全て民国期に建てられた新しいものである)。寺内には清・乾隆年間の御制碑がある。また裏山には数多くの摩崖石刻があり、倭寇征伐に功があった明代の陳第や兪大猷の石刻などがある。 [掲載写真撮影日2003/02/22/最終調査日2008/12/28] |
廈門大学 可 |
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1921年、シンガポール華僑陳嘉庚によって設立された総合大学。1937年7月、陳嘉庚により国民政府に寄付され、以降、国立大学となる。 [掲載写真撮影日・最終調査日2008/12/26] |
◆廈門市内の書店情報
暁風書店 |
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大学路。廈大医院のそば(電話0592-2088115)。学術書の品揃えが良い。夜10:00閉店。 |
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外文図書城(図城) |
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湖濱南路蓮板にある。大型総合図書店。 |
同安
●その他の郊外の海外交流史跡
同安文廟・同安博物館 可 |
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同安区南門路にある。五代の頃に建設されたと言われる。南宋に朱熹が同安主簿として赴任してきた際に増設され、清代の乾隆32年(1767年)に大成殿が重建された。現在の建物は清代のもの。同安博物館となっており、「同安重要史跡陳列」・「同安歴史名人陳列」・「館蔵文物陳列」の三部門の展示が行われている。 [掲載写真撮影日・最終調査日2007/12/21] |
同安古窯(汀渓窯)跡 可 |
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同安市内から車で約20分ほど北方の汀渓湖(ダム)の湖畔にある。1956年にダムを造る際に発見され、日本で「珠光青磁」と呼ばれてきた青磁の窯であることが確認された。ここで生産されたのは内・外側に櫛状の工具で文様をつけた粗製の青磁の碗・皿で、12世紀後半〜13世紀前半にかけて日本に多く輸出された。日本では鎌倉沿岸・唐津山麓・太宰府付近・福岡湾・福山草戸庄などの鎌倉時代の遺跡から出土している。その後、室町時代中頃には茶人の村田珠光が好み、茶人の間で「珠光青磁」と呼ばれて珍重されたという。 ※ダムの水位が低い時のみ見学可能。 [掲載写真撮影日・最終調査日2007/12/21] |
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