[福州郊外]  

●長楽エリア

琉球蔡仙府・琉球蔡夫人廟(懿徳夫人廟)・冊封使謝杰の墓・广石天后宮・鄭和記念館・仙岐顕応宮(天后宮)・三峰寺塔(聖寿宝塔)・梅花古城

 

・琉球との関連性を「(小)〜★★★(大)」で示します(※作者の独断によります)。

・琉球とは直接的に関係のない史跡もあります(※日本ほか広く海外交流に関する史跡についても説明しています)。

・自由に見学ができる史跡には「」のマークがついています。「」マークがないところも手続きを踏めば基本的に見学できます。

・見つけにくい史跡や個人旅行では行きづらいと思われる史跡には「」のマークがついています(※これも作者の独断によります)。

 

●長楽エリア

●.琉球蔡仙府・琉球蔡夫人廟(懿徳夫人廟) ★★★

りゅうきゅうさいせんふ・りゅうきゅうさいふじんびょう

https://ryukyuhistory.web.fc2.com/china_ryukyu/Changle_Caifurenmiao.JPG

長楽市梅花鎮。琉球の史書『球陽外巻・遺老説伝』に「琉球に美しい貢物の花布を織る蔡夫人という女性がおり、命令を受けて北京へ赴こうとして船が長楽県に至った時に病死してしまった。皇帝の命により長楽に廟を建てた」と記されている。また琉球の『蔡氏家譜』や中国の『長楽県志』にも同様の記載がある。この蔡夫人を祀った廟が「琉球蔡夫人廟」で、蔡夫人が暮らした(と伝えられる)場所のそばにある廟が琉球蔡仙府である(写真、和平飯店後方)。廟は文革等で破壊され、現在は沖縄の民芸人形などが祀ってあるのみである。なお蔡夫人の神像は廟の管理人が保護しているそうで公開されていない。また蔡夫人は梅花鎮東側の馬鞍山に葬られたという。附近に彼女が昇天したと伝えられる田螺穴(大岩)がある。

〔参考文献〕大城康洋「亜佳度−琉球蔡夫人のモデル」『久米村 歴史と人物』ひるぎ社、1993

 

[掲載写真撮影日2001/10/21/最終調査日2011/02/16

 

●.冊封使・謝杰の墓 ★★

さくほうし・しゃけつのはか

https://ryukyuhistory.web.fc2.com/china_ryukyu/Changle_Xie_grave.JPG

長楽県営前鎮湖里。謝杰1536-1604)は長楽県江田村の人。1574(明・万暦二)年の進士。1579年に琉球への冊封副使に任命され(正使は蕭崇業)、帰国後、正使と共に『使琉球録』を記した他、補遺として『琉球録』を著した。ほかに『虔台倭纂』等の著作がある。1604年に68歳で死去し、郷里に埋葬された。墓は文革中に破壊され、現在は文武石翁仲一対[写真は「武」の方]が残るのみである

 

[掲載写真撮影日・最終調査日2001/10/21

 

●.广石(文石)天后宮 ★★

げんせき(ぶんせき)てんこうきゅう

https://ryukyuhistory.web.fc2.com/china_ryukyu/Changle_guangshitianhoumiao.JPG

長楽市鐔頭鎮广石村。明代に冊封使が琉球へ赴く際にこの地で海神媽祖を諭祭した。1561(明・嘉靖十)年に郭汝霖が、1579(明・万暦七)年に蕭崇業が、冊封使として琉球に赴いた際にそれぞれ重修を行った。その際の石碑二枚が残っている。

〔参考文献〕徐恭生『中国・琉球交流史』ひるぎ社、1991

 

[掲載写真撮影日・最終調査日2001/10/21

 

●.鄭和記念館 

ていわきねんかん

https://ryukyuhistory.web.fc2.com/china_ryukyu/Changle_zhenghe_museum.JPG

長楽市内の小高い丘の上の鄭和記念公園の中にある。鄭和(1371-1434年頃、雲南省生まれ)は1405-1433年に永楽帝の積極外交政策の一環として計七回、大艦隊を率いて東南アジア、インド洋、ペルシアや一部はアフリカ東岸まで遠征を行った。南京近くの太倉港を出た艦隊は陳列館のある長楽市に寄港して食料の補給や風待ちを行った。当時の港である太平港は長い年月により土砂が堆積し面影は見られない。館内に移置されている天妃霊応之記碑(鄭和碑)は、1431年、天妃宮を重修する時に鄭和が建てた碑で、6回までの航海を無事に終えることができた感謝と7回目の航海の安全を祈念した内容が記されている(鄭和はこの7回目の航海のとき洋上で逝去し江蘇省に埋葬されている)。また、「宝船」と呼ばれた鄭和船団の旗艦(約500t)の模型船や、鄭和が福建滞在中に活動した遺跡の分布図ほか鄭和関連の写真や資料も展示されている。

 

[掲載写真撮影日・最終調査日2001/10/21

 

●.仙岐顕応宮(天后宮) 

せんきけんおうきゅう

https://ryukyuhistory.web.fc2.com/china_ryukyu/Changle_shenqi_tianhoumiao.JPG

長楽市漳港鎮仙岐村にある。空港から至近(車で五分以内)。宋1138年に建設されたという。清・光緒年間に大波に襲われ砂地の下に埋まった後、不明になっていた。1992年に長楽国際空港を修建する際に、農民が偶然発見。蛾の巣になっていたとか(※その蛾まで展示されている)。清代のままの姿で残った廟の他、発見された50余りの媽祖やその他の神像、及び石碑が二枚が見学できる。

 

[掲載写真撮影日・最終調査日2001/10/21

★その他の海外交流史跡

三峰寺塔(聖寿宝塔)                                                                                                           

鄭和記念館の写真を参照(後方に写っている塔が三峰寺塔)

長楽市呉航鎮南山上。鄭和記念館のそば。北宋1102-1106年にある僧が仏庵を建て、後にそこに塔が建てられた。明初、鄭和が西洋に下る時、船隊が長楽に駐泊した際に二回改修。

[最終調査日2001/10/21

梅花古城                                                                                                                                

https://ryukyuhistory.web.fc2.com/china_ryukyu/Changle_gucheng.JPG

長楽市梅花鎮。琉球蔡夫人廟のそば。明・洪武101377)年に建設された倭寇防衛の砦。千戸所が置かれ、長楽倉が建てられた。清・康煕581719)年に重修されて以来、数次の改築を重ねている。写真は最も古く完全であるとされる箇所。

 

〔参考文献〕黄金興主編『梅花』福建美術出版社、2009年。

[最終調査日2001/10/21

 

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