[福州郊外]
●閩江河口エリア |
五虎門・閩安鎮(閩安巡検司衙門)・怡山院天后宮 |
●馬尾エリア |
羅星塔(磨心塔)・福建船政建築群(馬尾船政局) |
・琉球との関連性を「★(小)〜★★★(大)」で示します(※作者の独断によります)。
・琉球とは直接的に関係のない史跡もあります(※日本ほか広く海外交流に関する史跡についても説明しています)。
・自由に見学ができる史跡には「可」のマークがついています。「可」マークがないところも手続きを踏めば基本的に見学できます。
・見つけにくい史跡や個人旅行では行きづらいと思われる史跡には「▲」のマークがついています(※これも作者の独断によります)。
●閩江河口エリア
●.五虎門 ★★★・可・▲ |
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ごこもん |
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連江県閩頭鎮に属す海域上に位置する五つの岩礁の名前。東シナ海から閩江に入る地点にあり、いわば福州の「門戸」である。琉球からの進貢船はまずこの五虎門を目指し、ここから閩江の急流を遡って馬尾付近を通過し、琉球館近くの川縁まで進んで碇泊した。帰途は琉球館そばの川縁から「登舟」し、五虎門から「出洋」したのである(※乗船することと大海に出ることを当時の琉球人は明確に区別していたことに注意)。なお現在ここに行くためには船をチャーターする必要がある。 [掲載写真撮影日・最終調査日2001/10/20] |
●.閩安巡検司衙門 ★★・可・やや▲ |
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びんあんじゅんけんしがもん |
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亭江鎮閩安村(閩安鎮)。市内から約35キロ。福州から亭江へ向かう道の左手に「閩安村」の表示が見える。福建省城の「喉元」に位置する。唐代に鎮が置かれ、宋代に監鎮衙、元明に巡検司、清代に福州の海防庁が官員を派遣して駐在した。出入海船の検査を行う場所であった。現在は閩安小学校となっている。 ※2011年02月、衙門は修復中であった。 [掲載写真撮影日2006/11/02/最終調査日2011/02/16] |
●.福州逈龍橋 ★★・可・やや▲ |
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ふくしゅうけいりゅうきょう |
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閩安村(閩安鎮)の奥、横跨湄渓邢港の上にある。唐901年の創建で南宋期に修築された。全長66メートル。両端に聖王廟・玄帝亭・碑刻などの文物がある。この橋のあたりから海防庁の巡視船が出船したとされる。 [掲載写真撮影日2006/11/02/最終調査日2011/02/16] |
●.怡山院天后宮 ★★・やや▲ |
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いさんいんてんこうきゅう |
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福州市亭江鎮亭江中学(※見学には事前の許可が必要)。閩安村を過ぎてしばらく行くと亭江鎮の中心部に着く。そこからさらに進んだ道沿い右手にある。清初に創建され、1719年から1866年までの琉球への冊封使が出航・帰航する際、ここで天后(媽祖)を諭祭した。内部に1866年の冊封副使が献金したことを記す石碑が残っている。 〔参考文献〕徐恭生『中国・琉球交流史』ひるぎ社、1991。 [掲載写真撮影日2006/11/02/最終調査日2008/12/23] |
●馬尾エリア
●.羅星塔(磨心塔) ★・可 |
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らせいとう(ましんとう) |
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閩江河口から30キロほど遡ったところ(福州市の東南21キロ)の馬尾港の羅星山にある。宋代に建設、明末に重修された高さ約30メートル、七層八角の塔で、陸海の交通の目印であった。琉球の進貢船も羅星塔の側を通過して福州に入った。1884年、清仏戦争時に損傷し、1964年に大規模な修復を受けている。なお羅星山は、もともと馬江(この付近の閩江を指す呼称)に浮かぶ島であった。 ※かつては上まで登ることができたが現在は安全上の理由により入塔は不可である(2011/02)。 [掲載写真撮影日2006/11/02/最終調査日2008/12/23] |
★その他の海外交流史跡
福建船政建築群(馬尾船政局) 可 |
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馬尾区昭忠路5号。清政府が経営した新式造船所。1866年、洋務派官僚で閩浙総督の左宗棠(1812-85)の上奏により福州船政局と馬尾船廠の創建が決定。福建の関税収入の4割がこの費用として当てられた。1868年、船政衙門などが建設。工人1700-2000人。1926年、海軍馬尾造船所に改編。清仏戦争・日清戦争で被害甚大。元々は中国近代海軍博物館であったが、2005年に中国船政文化博物館として新装オープンした。チケット売り場の中でここでしか購入できないような書籍を販売している。 [掲載写真撮影日・最終調査日2008/12/23] |
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