10回中琉歴史関係国際学術会議に参加して

渡辺美季(上)

 

二〇〇五年十二月九日から十日にかけて、台湾の台北市にある中央研究院人文社会科学研究センターにおいて第十回中琉歴史関係国際学術会議(主催:中琉文化経済協会)が開催された。この会議は二年に一度、沖縄・中国・台湾の各地域が交代で主催して行われるもので、琉球史研究の重要なテーマの一つである中国(明代・清代)と琉球の関係史を、沖縄・本土・台湾・中国などの研究者が一同に会して議論・検討する一大学術イベントである。

 東京で琉球史を研究する筆者は、二十数年前から精力的にこの会議を運営し続けてきた琉球史研究の諸先輩方に混じって、今回、幸いにもこの会議の末席に加わる機会を得た。そこで以下、私の目から見た会議の様子を報告し、ささやかな感想を述べてみたいと思う。

高水準、意欲的な内容

 会議一日目は、主催者側の式辞で幕を開け、まず曹永和氏(中央研究院)の講演「海洋史における中琉関係」が行われた。台湾における海洋史研究の第一人者である氏の言葉からは中琉関係史研究に対する真摯[しんし]かつ強い想[おも]いが感じられ、後進の一人として襟を正して聞き入った。

その後、三つのセッションにおいて計九本(台湾四本、中国三本、沖縄・本土二本)の報告がなされた。各セッションの内容は、@中国から琉球に派遣された冊封使節に関するもの、A中琉間の漂着事件に関するもの、B風水など文化面から中琉関係を論じるもの―という具合に概括できる。

例えば@では、冊封使が琉球で詠んだ漢詩から彼らの「琉球像」の形成や変遷を分析する報告、冊封使が記した琉球見聞録の一つを取り上げその編纂[へんさん]過程を検討する報告などが行われた。

Aでは、清代に多発した琉球人の中国漂着事件の中で、漂着の機会を利用して交易が行われていた可能性を検討する報告、清代における琉球船の東南アジア漂流の実態を分析する報告などがあった。

Bでは、福建滞在中の琉球人の活動の様子を、琉球に残された中国語のテキストの内容から検討する報告、及び沖縄の伝統的集落・民家の空間構成に風水がどのような影響を及ぼしたのかを分析する報告などがなされた。

どの報告も、主催者(及び各地の事務局)側が事前に厳選したとあって、水準の高い意欲的な内容であり、質疑応答も大いに盛り上がった。

新鮮な研究成果

私の中で特に印象に残ったのが、各地域から参加した若手の研究者の活躍である。オリジナルな視角を盛り込んだフレッシュな研究成果が次々と報告され、大いに刺激を受けた。

彼らの殆どが、古参の会議参加者の弟子筋(或いはかつての学生)であるということは特筆すべきことだろう。中琉関係史の研究を志す学生にとって、相談できる「師匠」が身近に存在し、その「師匠」の研究室に備えられた豊富な関連書物や史料を利用できることが、いかに重要なことか。それを如実に示し、またこの会議の参加者がこれまで蒔[]いてきた種が各地で着実に育っていることを立証したのが今回の会議であったと言えよう。

さらにこうした若手の中には中国や台湾に、或いは沖縄や本土への留学経験を持つ者(及びその予備軍)が少なくない。つまり机を並べて共に学び、言葉の障壁を乗り越え、お互いの状況を理解しながら、相補的に研究を進めていく状況が急速に進展しつつあるということである。そして、そのことは研究の枠に留まらない意義を持っているように思う。

学術交流の意義

会議の休憩時間、沖縄に留学経験を持ち、沖縄でのインタビュー調査などを熱心に行っている台湾のある若い女性研究者に、なぜ琉球・沖縄の研究をしているのかと尋ねてみたところ、返ってきた彼女の答えに胸を打たれた。「沖縄と台湾は様々な歴史的関係を有しているにも関わらず、台湾の人は観光地としての沖縄にしか興味がない。私は台湾の人たちに琉球・沖縄の歴史について理解を深めてほしいのです。」

同じ分野を研究する者として、なんと心強い彼女の言葉だろうか。

史料や情報を交換するだけでなく、このような研究姿勢に学ぶこともまた学術交流の重要な意義だろう。私も琉球のみならず、台湾や中国の歴史について理解を深める努力を怠らず、彼女たちとともに歩んでゆきたいと強く思った。

(わたなべ・みき 日本学術振興会特別研究員)

 

Homeへ戻る

inserted by FC2 system