「由来記」を純化した姿

『訳注 琉球國旧記」(首里王府編、原田禹雄訳注)榕樹書林、2005

『琉球国旧記』は、一七三一年に成立した琉球国の地誌であり、国内各地の名所旧跡、寺社、聖地(御嶽・火神[ヒヌカン]など)、公式儀礼や官職、諸事の由来、年中行事などを体系的に解説したものであるこの書は、琉球最古の総合地誌である『琉球国由来記』(一七一三年成立)を、久米村の鄭秉哲[てい・へいてつ]が中心となって簡略化し漢文に書き改めたものであり、そのため由来記の影に隠れて、これまであまり注目されてこなかった。

では旧記には由来記の簡略版としての価値しかないのだろうか。その答は否である。第一に、旧記には御嶽名や御嶽の神名など沖縄口[ウチナーグチ]による呼称が漢字で表記されており、その語義や発音の解明に有益である。第二に、由来記の完成後の出来事についてなど、由来記には見られない貴重な情報が旧記には含まれている。

さらに旧記の序文に「由来記には中国や大和のことが多く記され、あるものは冗長で用に適さず、あるものは伝承する価値がない」と指摘されていることに着目したい。傍点部に注意して由来記を見てみると、確かに琉球だけでなく、中国や大和の諸事の由来までが併記されていることに気づく。つまり旧記はこれらの記事を省くべく改修されたと言うのである。一体それはなぜであろうか。

実はこの頃、島津侵攻の衝撃からようやく立ち直った首里王府は、その支配体制を整備・強化して、一王国としての自立性・主体性を確立しようとしていた。このため、この時期には琉球の歴史や由来を確認し、琉球とは何かを明確化すべく、多くの史書や由来記が編纂されたのである。

こうした状況を鑑みると、旧記は、由来記の中から王府が厳選して抽出した「琉球独自の要素」で構成された書物と言えるのではないか。そしてそこには王府が由来記より純化した形で残そうとした「琉球」の姿を見出すことができるのではないだろうか。

原田氏による的確かつ平明な訳と詳細な注を付した訳注本の刊行により、旧記の豊かな内容と、そこに込められた先人のメッセージを、多くの人々が知り得る環境が今まさに整ったと言うべきだろう。(渡辺美季・日本学術振興会特別研究員)

 

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